YPS-7の「ワールドエンダー」とYPS-1の「人間」という根本的な乖離により、直接的な戦力比較は意味をなさない。一方が物理法則を書き換え、もう一方が人間としての生物学的限界の中で活動している場合、唯一有効な指標となるのは「システム制御」へのアプローチである。両主人公とも伝統的な英雄の旅を拒絶し、管理的な支配を選択しているが、その能動性の方向性は対極にある。リムルは企業の設計者のように機能し、累積的な成長とほぼゼロに近いエゴを用いて、あらゆる不安定さを吸収する連邦を構築する。これは個人の進化の物語ではなく、制度拡張の物語であり、オークディザスターの吸収は戦闘というよりは企業合併に近い。対照的に、空はシステムの浸透者として振る舞う。彼の力は累積的なものではなく関係的なものであり、しろとの絆に完全に依存している。リムルがシステムそのものになることでリスクを排除するのに対し、空はディスボードのルールに内在するリスクの中でこそ真価を発揮する。これは、個人の能動性からシステム操作への移行という、異世界作品におけるパワーダイナミクスの核心的な緊張感を露呈させている。リムルのYPS-7というステータスは安定への渇望の結果であり、空のYPS-1というステータスは存在をゲームとして扱うという選択の結果である。一方は盤面を所有することでゲームを終わらせようとし、もう一方はルールを極めることでゲームに勝とうとする。リムルは主権者の効率性を体現し、空はアウトサイダーの創意工夫を体現している。YPSティアの格差は強さの尺度ではなく、完全な統治か、決定的な勝利かという、目的の違いを反映している。
Archetype breakdowns and dispute court land in later phases.