YPS-2とYPS-6の間の絶望的な格差は、戦闘に関するあらゆる議論を無意味にする。惑星級の存在がもたらすスケールにおいて、超人的なクルセイダーなど不可視に等しいからだ。しかし、この格差こそが、「アイデンティティの演じ分け」という共通の物語的執着を浮き彫りにする。両者は矛盾を抱えた存在である。一方は衝動性で太古の悲しみを隠す神の子であり、もう一方は騎士道精神の仮面で深いマゾヒズムを隠す高潔な守護者である。ここでの緊張感は、どちらが勝つかではなく、どちらが自身の機能不全をより主体的に制御しているかにある。ミリムの物語は孤独からの緩やかな回復だが、その強すぎる力は人間関係から緊張感を奪い、不死の虚無を埋めるための娯楽探しへと変えてしまう。対してダクネスは、リスクが常に物理的に存在する世界で生きている。パーティの「肉壁」という役割を受け入れることで、彼女は攻撃の当たらないという欠点を、意図的な忍耐という選択へと変換させた。他者のために苦痛を引き受けることで、彼女は歪んではいるが明確な自律性を見出している。すべてを見尽くした存在としての停滞に苦しむミリムに対し、ダクネスは即時的で触覚的な痛みの現実に意味を見出す。この点において、YPS-2のキャラクターの方が自己決定に関する研究対象として興味深い。彼女には隠れるための惑星規模の力などないため、世界から嘲笑される「失敗」を通じてこそ、自らのアイデンティティを刻み込まねばならないからだ。
Archetype breakdowns and dispute court land in later phases.